出版はリレーである。

どちらかというと、編集者仲間より、デザイナーさんや、校正者さん、イラストレーターさんなどの、編集者に依頼を受ける側と話をしているほうが楽しい。

そして、彼・彼女らとお話していると、つくづく、編集業というのはリレー、もしくは駅伝の一走者であるということを感じさせられる。

筆者の書いた原稿というものが編集者の手に届く。編集者はそれをリレーのバトン、もしくは駅伝のたすきのようにして、次の工程…デザイナーさんやら、校正者さんやら、に届ける、さらにそれを編集者が受け止めて、今度は印刷所に届ける、その後商品は営業担当や、書店さんの手を経て、読者の手に届く。

どこに向かって走るのか。何を求めて走るのか。リレーのゴールを指し示すのは編集者の役割だ。走るのが遅い人がいれば、どこかで遅れを取り戻さなきゃならないし(場合によっちゃあ、自分がフルスピードで走らなきゃならない)、走るのがはじめての人には、走り方から教えてあげなきゃならない。

そして残念なことだが、編集者は、自分と筆者だけで、リレーが成立していると勘違いしがちだ。その周辺には、たくさんの協力者がいるというのに。レースの構造を知らないままで、企画と言う名の妄想だけが、一人歩き。
読者が求めている妄想ならば、大ヒットにもなろう。だが、年間出版点数が7万点とも8万点とも言われる昨今、大ヒットになる前に、周囲の協力を得られず、泣かず飛ばずで終わった企画はどれだけあるんだろう。

いかにチームのモチベーションを高められるか、そして皆を納得させてゴールに導くか。あなたにバトンを渡してくれるのは誰で、そのバトンは次にどこへ行くのか。そういうことを走り手に伝えることも、編集者に与えられてる役割で、だけれどもこれって別に編集者じゃなくても、普通に仕事をすることができる人なら誰でもできることなんじゃないかなって、最近は思えるようになった。

内田樹が確か「ひとりでは生きられないのも芸のうち」で「本を作るのには、思いのほかたくさんの人の手がかかっていて、たくさんの人の手を経て本を出せる今の自分を幸せに思う」的なことを書いていたような気がするのだけれども(手元に本が無いのでうろ覚えです…)、それって本当に正論だと思う。
自分が書いたものが、そのまま世の中に出るだけなら、ブログでいいじゃん、とか、ね。

臭いが、愛がある仕事をしようと思う。それに尽きるね。

そしてなんでこんな時間に私がブログを書いているかというと、回ってくるはずのバトンが今月は2本も回ってきていないんだな………あああ。