仕事納めに今年を振り返る

忘年会シーズンの終電は酒臭い。最近体調管理のため「減酒」している身なのでさらに辛い。
そんなある日、中央線各駅停車に乗り、雨宮処凛の「生き地獄天国」(文庫版)を読みながら帰宅する途中、隣で会話している男女の話が耳に入ってきた。スリップ、校了、校正…ほかではあまり聞かない言葉。聞き耳をたててみると、どうやら専門書版元編集者と、教育系編集者と、書店さんと思しき3名の男女が忘年会を済ませた後、一緒に帰宅しているようだ。

書店勤務と思しき女性が専門書版元の編集者である男性に尋ねる。
「○○さんは、一年にどれぐらいの本数の原稿を動かすんですか〜?」
「ええと、ひどいときは100本ぐらい同時に動かしてますね。だからそれぞれの筆者さんと深いお付き合いはできませんよ」
「!!!」(←教育系出版社勤務と思しき女性の声にならない驚き)

何をどう勘定して100本なのかわからないけれど、100個の仕事を同時に動かしているんだったらえらいこっちゃ、と口には出さずとも私も驚く。それだけの人とクオリティーを保った関係性を維持するのは、本当に大変そう。

自分のことを振り返ってみれば、1冊の雑誌で50〜60本の原稿があり(頁数はまちまち)、それが12冊だから単純計算で50本×12冊=600本。頁数にすると、1冊約200ページの本を、12冊で2400頁。進行管理として、その全部をなんとなくではあるが、見てきたことになるんだから、よくやったなぁ、と思う。(実際に自分で担当したページ数は月平均30頁から50頁ぐらい)今の雑誌に配属されたてのころは、前の媒体との本数の差に頭を悩ませたけれども、しかし1年ほど経過して最近は雑誌の全体の構成をなんとか把握できるほどにはなった。
雑誌の場合においてだが、編集者全員が全員完全原稿を入稿してくれれば進行管理の仕事はさほど無いのだと思うのだけれど、なかなかそうはいかないもので。筆者のプロフィルが、原稿の一部が、キャプションが、五月雨式にレイアウトや印刷の工程に流れ込んでくる。例えてみれば、流しそうめんを1本1本箸でつまんで食べるみたいなもんですわ。無駄無駄無駄……。

だがしかし、いくらよくやろうが、本数が多かろうが、売上げが立たなきゃ経営的には意味が無い。今年読んだいい本の中に、こんなことが書いてあった。

「しかし、最近のトレンドとしては、個々人が会社の利益にどれだけ貢献したかを重視するようになっており、働く側でも、これに気づかねばならないだろう。たとえば、出版社であれば、売れない単行本や雑誌をふうふう言いながらたくさん作る編集者よりも、仕事ぶりは楽そうであっても、コンスタントに売れる本を作る編集者の方が、高く評価されて当然だ。」

ごもっともすぎて何もいえない。もちろん出版の価値はそれだけではないということもわかっているけれども、しかし決して働いた量の多寡で、読者にどれだけの価値を与えられたかということは図れないのだ。
今年1年は無我夢中で仕事をしてきたが、仕事の輪郭が見えてきて、さて来年はまた違う働き方を試してみようかと思う。

皆さんはこの1年、仕事を通してどれだけの価値を生み出すことができましたか?