アイ・オー


そういうわけで正月は掃除三昧だったわけですが、その日々の中で、はっと気がついたことがあります。

「インプット」と「アウトプット」に、どれだけ意識的になれるかで、人生の質が違ってくるのではないか、ということです。

掃除修行の行き着く先は…

このことは、たとえば、お皿や台所用品、洋服、思い出の写真のように、暮らしにまつわる品物について、当てはめてみてることができるでしょう。雑誌や新聞、インターネットから得た情報、人との出会い、一本の電話でも、すべては「インプット」と「アウトプット」に分類して考えることができます。「入力」と「出力」ともいえます。

どれだけのものを、その日自分は取り入れたのか。
そして、どれだけの物をその日外に出したか。結果を出したのか。
今、自分の手元に残っている(懸案となっている、仕掛かっている)ものは何か。

日々の生活はあわただしくて、つい無意識にたくさんの物事を、私たちは右から左へ受け流してしまいがちです。そして、意識しなかったそれらのものは、身の回りに乱雑に散らかり、積み重なり、そこに停滞します。

身の回りが散らかると、自分の持ち物を把握しきれなくなります。すると、同じものを2度買ってしまったり、捨ててもいいものが捨てられなくなってしまう。

実生活に置き換えてみると、仕事をたくさん抱えて頭がごちゃごちゃになっていて、仕事で受け取った電話を、つい乱暴に切ってしまったり、大切な相手に思いやりのない言葉を伝えてしまったり。反対に、心配しなくてもいいようなことを、過剰に心配してしまったり。

だから、常に「インプット」と「アウトプット」を意識するべきなのです。
そして、手元の「在庫」を把握し続け、不要になったものは捨てていくこと。

(もちろん、インプットして、アウトプットするまで、しばらく時間を置いたほうがいいというものもあります。思考を発酵させるというべきか。文末の書籍参照のこと)

この考え方に則ると、最近流行のGTDも、インプットとアウトプットの管理ツールなのだな、と認識することができます。

UNIXというOSは、すべての物事をファイル単位で考えるそうです。そこでは、モニターや、キーボードなどの入出力のデバイスさえ、「ファイル」という扱いになるとのこと。
そのお話を伺ったときに、なんと簡潔明瞭な思想なのだろうか、と感動したものです。

「入力」「出力」という視点で物事を捉えると、いろいろな日常の面倒ごとが、非常に単純に考えられます。

お掃除三昧の年末年始で、気がついたことでした。こういう休暇のすごし方も、悪くないものですね。


思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

それにしても

名刺や年賀状の整理をしていて、思ったのですが、一体仕事というものを通じて、私たちは何人の人と出会うのでしょう。


この年末は、名刺のデータ化を試みたのですが、それによって、今、確実に連絡が取れないとまずい仕事上の相手が少なくとも150人はいるということが発覚した私です。この人数は多いのかしら、少ないのかしら。
これまで私は、mixiでマイミクが100人以上いる人はどうなんだろう…と思っていたのですが、普通に社会生活を営むと、それぐらいの仕事相手はいてもおかしくないようです。(しかも私は、このご商売にしては、さほど活発に交流をしているほうではないと、思っています)
また、同時に気づいたのは、雑誌出版というご商売柄か、1度名刺交換をしたっきり、連絡をすることも無い方が非常に多いのだなということ。
(以前営業をしていたときは、同じ方と継続して仕事をすることが多かったのですが…)
これまでは、その名刺をファイリングすべきかどうか、いちいち判断してしまっていたため、名刺整理が苦手だったのですが、これからは、方針を変えようと思っています。

そんなたくさんの人たちと関係性を築いて仕事をしなければならないこのごろ。

2度会いたい、3度会いたいと思っていただくにはどうすればいいのか。

うううううーーーーん、にゃやましい!です。