混沌とした時代を徹底的に楽しむ

読みました「ウェブ時代をゆく」。はてなユーザーだし。梅田さんに向けて感想。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

読むとわくわくした気持ちになれる。自らコードを書きたくなる。そんな衝動に突き動かされた。そういう意味で「モノを書く意義は、それを読んだ人の心に何が生じたのかに尽きる」という筆者の試みは大成功だろう。

特に大組織適応性に関する記述は、レガシーな大企業に所属することに違和感を感じるている多くの若者に勇気を与える。

これまで当然と思われていたキャリアパスは、この先全く未知の領域に突入する。特にわれわれ編集という、コンテンツをを扱う職業の人間にとっては、選択を迫られるときが刻一刻と近づいている。もちろん編集という職業がなくなるわけではない。新しいメディアのあり方を構築し、ビジネスモデルとして確立できる企業とそうでない企業が明確になる時代がくる。そこで職業人としてどう生きるか。これは、面白い。わくわくする。

自分のロールモデルとなる人の、どこに惹かれるかを分析し、自分の嗜好を見出すという「ロールモデル思考法」も、今すぐ役立つ内容。早速私は、自分のロールモデルだと思っている人たちの名前を書き出して分析してみた。津田晴美さん、池田晶子さん、花森安治さん…興味深い結果が出るはず。

ただし、格差社会に対する筆者の姿勢には疑問。どんな状況に生まれても、誰もが与えられたインフラを使って、「自助の精神」で這い上がることができるのか?私はそうは思わない。生育した環境によって、人はその後の人生の選択可能性を、否応無しに奪われてしまうことがあるのだ。
私、奨学金と社会と人のやさしさと、運と努力で、なんとか今社会人として生きていられる。でも、何か要素が欠けたら、たぶんまっとうな社会人として、生きる気力すら生まれない思考回路になっていた。そして、今なお親がある程度の階層に生まれていた人たちと、明らかな知的質量の差を感じている。それをどうすれば乗り越えられるのか、気にしないで生きていけるのか、いつでも模索して、格闘している。
その、いつでも落ちる可能性があるという、ヒリヒリとした危機感は、梅田氏のオプティミズムからは、感じることができなかった。やはり彼もエスタブリッシュメントなのではないか。やっかみと言われればそれまでだが。

とにもかくにも、今の時代をうまく表現できていて、勇気を与える本という意味では、間違いなく成功。むしろレガシーな人々にこそ読んでいただきたいし、こういう本がベストセラー入りすることで、この世界に興味を持つおじさまたちも少なからずいるだろう。そこへ情報を開いたことにこそ、この本の意味はあると思う。
書物の役割は、「知の開放」だ。そして、今まで「上から下」へ流れていたものを「下から上へ」と逆転させることもできる。そういう価値に、満ち満ちた本であるように思う。