たくさんの人に会うこと。

出社すると、頼んだ名刺が2箱届いていた。このご商売、名刺の減り方が尋常で無い。
追加発注、日常茶飯事。いったい年間何人の人に会っているのだろう。恐ろしくて考えたくないぐらい。

今日は朝からたくさんの人に会った。まずは新しいお店の取材で某社社長さんと一寸お話。それから会社に戻って執筆者さんの来訪に対応。印刷所さんとのやりとり。最後は某研究所さんの決算記念パーティー
実はパーティーは苦手なのだ。だけど楽しみたいのだ。だから酒の勢いでぶつかるのだ。今日の会場だった東京プリンスホテルのビュッフェには、社長のTさんのネットワークで集まったなぞの人々がたくさんいた。有機農法をやっている方、元不登校児なのだけれど今24才で社長の男の子とそこの社員さん(驚くべきことに、従業員の平均年齢20歳!)、その社長くんの外国人のお友達、企業再生ビジネスの人々、北海道で一緒に100キロ歩いたKちゃん、大手流通業で店舗開発という男の職場に乗り込んで仕事している妙齢の女性Aさん、ゲストハウス運営のTさんとその家族……。相変わらず、訳わかんなぁ。でも面白いからいいけど。

最近、知っている人に「Kさん相変わらず人脈広げているねぇ」ということを言われたのが少し意外だった。私が人と会う目的は、全くもって人脈を広げることにはないからだ。ただ楽しく、未知なる世界を持つ人々と酒を飲む。話をする。それだけ。対価は全く考えていない。楽しい酒が飲みたい。それが後から何らかの形になるかもしれないけど、酒飲んで、その人の心の軸に触れるまでは、私は飲み会で知り合ったというだけでは、何か一緒にお仕事を、という気持ちにはあまりならないような気がしている。

仙台から東京に出てきて、私はやたらといろいろな人とのネットワークを作りまくっている。人と人を見たらつなげずにはいられない。もうこれは習性としかいいようがないんだろう。深層心理を探れば、親一人子一人家庭で育ったため、親がこの世から去れば、血を分けた家族というものがいなくなる可能性が高くて、家族以外の人とのつながりが、セーフティーネットになるであろう、という下心はあるんだろう。

しかし、それを人脈を築こうとしているといわれるのは、さびしい。私はあなたとお話をしてみたい。あなたのこの世に対する理解を聞いてみたい。生きるということに対する姿勢を聞きたい。仕事に対する考え方を聞きたい。ただ、それだけなんだ。それがすべてなんだ。そういう風に、お酒を飲みたいと思う。

そうそう、名刺といえば、最近品格のある名刺とそうでない名刺が、私の中で判別できるようになった。たかが名刺、さりとて名刺。品がある、一目で美しいと思えるような名刺を持てる大人になろうと思う。