仕事雑感(1)

唐突ですが、仕事について、最近思っていることを書きたいな、と思いました。

生活に必要なお金の量は、人によって違います。
身の丈にあった暮らしを実現するのは「収入に生活をあわせる」こと。だけど、収入に対して誤った見込みを立ててしまうと「生活に収入を合わせる」必要が出てきます。これがなかなか難しい。一度豊かになった暮らしを手放すのは、なかなか勇気がいることだから。
もちろん、「憧れの生活に収入を合わせるため背伸びをする」ことも否定はしません。だけど、それは他人に強要することでは無いはずです。それぞれの個々人が、個々人の暮らしを作るために、個人的に努力すればいいだけ。生活に必要なお金の額というものは、一人一人が、一人一人の生活感覚で決めればいいだけなのです。その上で、はたらく会社を選ぶなり、仕事を選ぶなりすればいい。

労働組合法は、戦後の日本において、地位の弱い労働者を守るため、彼らが団結して経営者と交渉をする権利を認めました。しかし、私は、この「団結」という言葉に一抹の疑問を覚えずにはいられません。本当に労働者は弱いのでしょうか?経営者は強いのでしょうか?それすらも、この足元がおぼつかない世の中では、定かでありません。

私はいつでも誰かを仕事をすると、「この相手は、満足がいく仕事ができているだろうか?」、さらに「相手は私と仕事をすることを楽しんでいてくれるのだろうか?」、そいでもって「相手に自分が切られるのではなかろうか?」ということが気になります。
最近では、私が誰かに仕事をお願いする機会も増えてきました。その経験によって、「仕事はお願いしているほうが偉い、なんてことは1ミリも無いんだ」ということが分かりました。仕事は、お願いするほうも、お願いされるほうも、平等だし、それぞれに選ぶ権利がある。そのことを認めないと、「会社によって仕事をお願いされ続ける」立場のサラリーマンの尊厳なんてないよなぁ、と思うわけです。

個々人が、個々人の暮らしを豊かに営むための努力をすること。そのことと、仕事を選んだり、遂行したりすることは、切っても切れない関係にあります。しかし、それは飽くまで個人の決定の範疇。他人に強要だけはしてもらいたくない、と思う次第。

「私にだって選ぶ権利はあります」。てね。