近づけない、店。または、伝わらない、言葉

本日はとあるコンサルタントさんと取材で店舗巡り。主に、出店の際に間違った立地を選んでしまった店舗を見て歩く。

日常の買い物をする店は、「近づきやすさ」が何よりも重視されて当然なのだけれど、買い物に行く人の目線で見ると、店が「お客を寄せ付けない」矛盾に満ちていることに気づかされる。入りにくい・止めにくい駐車場、意味のわからない一方通行、どう見たって右折して入庫したほうが楽なのに、法律によって右折は禁止されていて。雑然とした駐輪場に、無理やり自転車を詰め込むお客。店に入れば、メーカー、お店、双方が用意した販促物が氾濫し、何を伝えたいのか、何を売りたいのか、さっぱり伝わらない売り場が延々と続く。いろいろな人の思惑が交わったからなのか、かくもお店というのは、わかりにくい場所になってしまっている。

そんな場面でひしひしと感じさせられるのは、店のコミュニケーション能力というものだ。店の立地ひとつ、POPひとつ、陳列ひとつが、何かを伝えるはずなのだ。伝えるはずなのに、「目立たせるべきもの」「目立たせてはいけないもの」のメリハリ、ルールがはっきりしておらずに、本当に大切なことが、相手に届かない。

雑誌作りも同様だな、と思う。男の人目線の雑誌が、どうしてあれだけ情報を詰め込みたがるのか。それはそれで、面白みや濃厚さはあるのだけれども、もっとそぎ落とせないか?ちゃんと設計して物を伝えられないか?変な理屈ばかりこねくり回して、本当にすべきことができていないんじゃあ、ないのか?

最近の自分は、徐々に男世界に侵食されそうになりながらも、必死に踏みとどまっている感じ。スーパーマーケットの世界って、嫌になりそうなぐらい、男社会なのだもの。いやいやそうじゃなくてさ、私は私の生活というものを大切にしながら、その目線でもって、丁寧に物事を解き明かさねば、と踏みとどまっている現状。悩まされることが多い。
そして、かくもお店は(雑誌でもいいけどね)、お客様のことを置いてきぼりにしてしまう。

そんなときに一方的に敬愛しているナガオカケンメイさんの日記で、「売り場」は正直という素敵な文章を書いていらっしゃっているのを見て。勇気付けられた。私も壇上で机上の空論を唱える人間になってはならないと思わされることが強い。そして、このd&dというプロジェクトの、しっかりと考え抜かれた理念に基づく、コミュニケーション能力の高さには、いつも感心させられ続けている。商品のひとつひとつが、エントリのひとつひとつが、自分に疑問を投げかけてくるのだ、「ねぇ、あなたが持っている、今のそれって、本当に本質的なの?」と。

常に、誰かの暮らしに寄り添いながら、生活を豊かにするための、何かでありたいと思う。そしてそれは、実務者として、コツコツと積み重ねていかねばならないもので、机上の空論をかきまわすようなものであってはならない。その方法を30才手前になって、真剣に探そうと思っているところなのだけれども。
ナガオカ氏に敬意を表して、僭越ながらトラックバックを。